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ソフィア・コッポラは何がしたかったのか 『ビガイルド/欲望のめざめ』感想

ソフィア・コッポラの新作。今までの彼女の監督作はすべて自身が書いたオリジナル脚本になるので、原作ありの企画は本作が初。それもすでに一度ハリウッドで実写化されている小説を題材にしたリメイク作品になるのでちょっとびっくりした。オリジナルはドン・シーゲル監督、クリント・イーストウッド主演の『白い肌の異常な夜』。さて『ダーティハリー』でよく知られるハリウッドで一番男臭いコンビの映画をなぜ今さらガーリーでポップな作風で知られるソフィア・コッポラがリメイクするのだろうか。
 

beguiled.jp

 

ここでは『白い肌の異常な夜』との違いなども含めて、リメイク版の感想を書いていく。以下ではタイピングがだるいので『白い肌の異常な夜』をシーゲル版、『ビガイルド/欲望のめざめ』をコッポラ版と呼ぶ。ネタバレがんがんするので未見の方は要注意で。

 

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『ビガイルド』公開記念 『白い肌の異常な夜』感想

男臭いいぶし銀コンビ、ドン・シーゲルクリント・イーストウッドの傑作サスペンス・スリラー『白い肌の異常な夜』。
お洒落でガーリーなソフィア・コッポラが本作をリメイクするっていうんで予習がてらにレンタルしてきましたよ。久々にリアル店舗で。ちょっと面倒だけど、観たい方は某大手レンタル店へ。近所の小規模店でも在庫していたのでだいたいの店に置いてあると思う。
 
1971年に公開された本作は、監督のドン・シーゲルクリント・イーストウッドにとってキャリアの転機となった作品。
そもそもこの企画は『真昼の決闘』撮影時にイーストウッドが原作を気に入り、シーゲルに映画化を持ちかけたところからスタートしたらしい。
当時のイーストウッドマカロニウエスタンの看板役者でばりばりのアクションスター。一方のドン・シーゲルもB級のジャンル映画、主に西部劇やアクション系のイメージが強い監督。
 

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これが本作のポスター。タイトルよりもでかでかと浮かぶ「Clint Eastwood」の文字。イーストウッド以外の役者は人面疽みたいで誰だ誰だかわからない。
リボルバーを構えるイーストウッドはガンマン以外の何者でもない。否が応でもアクションを期待してしまいますよねー。
 
でも本作のイーストウッドはずっと足怪我してて動けない役。ほとんど肉体的なアクションはなく心理戦がメイン。なんせ舞台が女学校だから。
 
映画会社としては二人の持ち味を殺す企画だったわけで、どうにかこうにかアクションに寄せて売り出したかったんだろうな。シーゲルとイーストウッドはぶち切れたらしいけど。結果的には大コケしてしまったが、イーストウッドの作家性に大きな影響を与えた映画。彼が同年に監督デビューを果たす『恐怖のメロディー』とかもろに同じテイストだし、多分にマゾっ気が発揮された問題作。
 
あらすじはこんな感じ。
南北戦争の最中の女学校が舞台。北軍の軍曹であったジョン・マクバニー(クリント・イーストウッド)は瀕死の重傷を負って森の中をさまよう。そこへ偶然やってきた少女エミー(パメリン・ファーディン)に救われて、南部の女学院に運ばれて一命をとりとめる。北軍兵士を匿うのはもちろん重罪。葛藤する学長マーサ(ジェラルディン・ペイジ)。看病を通じて次第にマクバニーに惹かれていく純朴な教師エドウィナ(エリザベス・ハートマン)。そのエドウィナに嫉妬の炎を燃やす女生徒キャロル(ジョー・アン・ハリス)。それぞれの思惑が交錯し物語は思いよらない展開へと進んでいく。イーストウッド以外の役者は人面疽みたいで誰だ誰だかわからない。
 

 

 タイトルのエロさ

 
とりあえず気になるのは安っぽいピンク映画みたいなタイトルですよね。
確かに性描写多めだし、イーストウッドが基本女性といちゃいちゃする映画なんでまったく理解できない邦題じゃないけど、色気の裏に隠されたものがテーマなんで安易なミスリード感はある。
これ原題がリメイク版のタイトルにもあるbeguiled。「欺かれた者」を意味する動詞で、これをそのまま邦題にするのも味気ないし、また内容もよくわからないので、同情の余地はある。リメイク版も「 欲望の目覚め」ってサブいれてるしね。これはこれでピンク映画っぽいけど。
 
 
ただタイトルのミスリード感にまったく意味がないわけではない。というのも本作の見どころは、「敵対する北軍兵士と南部女性たちの禁断の情事」を餌にしながら少しずつサスペンス・スリラーに転調していく巧みな演出にあるからだ。
 

ボイスオーバー・フラッシュバック

いまではあまり見られなくなった古典的ともいえる手法。1970年代でもやや廃れていた感があったんじゃないかな。なんせ当時の流行りはスローモーションとかVFXだったから。
 
でもそこはハリウッドを代表する職人監督ドン・シーゲル。流行り廃りなんて関係なく、ボイスオーバーとフラッシュバックを使いまくる。
一応説明しておくと、ボイスオーバーは「心の声」とか「天の声」をいれる演出のこと。フラッシュバックは、回想とか空想とかの映像を断片的かつ瞬間的に挿入する演出。心理現象としてもあるあれを映像技法として再現した感じ。
これらの手法がサスペンスの強度を高めるために効果的に使われてる。イーストウッドもサスペンスうまいけど、さすがその師匠って感じ。
 

サスペンスと爆弾

サスペンスの肝は「志村うしろーうしろー」にある。*1
 
登場人物に迫る危険を一足先に観客に察知させる。それだけ観客は勝手に登場人物の身を案じてやきもきしてくれる。ヒッチコックトリュフォーに語った爆弾のたとえ話が有名。映画で爆弾が急に爆発したら観客はショックを受けるがあくまでその一瞬驚くだけにすぎない。しかし、もしその爆弾が時限式で、観客がそのタイムリミットを知っていたらどうだろうか。観客はその爆弾が爆発するまでの数分間、あるいは数十分間、「はやくそこから逃げろ」と心配してドキドキしてくれる。
サスペンスを支える図式は、重要な情報を観客>登場人物の割合で配分することにあるというわけだ。
マクバニーがマーサに好かれようと「敵を助けようとして撃たれた」と大嘘をつく時。観客だけはフラッシュバックで逃げる南軍兵の背面に銃弾をぶち込むマクバニーの本性を知る。登場人物たちの思惑を上手い具合に観客にばらしてサスペンスに拍車をかけ小気味よく物語は進む。
 

マーサがやばい

具体的にこうした手法がどのように物語に貢献するかというと、学長であるマーサの人格にあるわけですね*2序盤は北軍兵士である彼を匿うことを躊躇して南軍への密告を考えるが、直前で思いとどまる。彼女を思いとどまらせるのは、兄とのただならぬ関係を示唆するフラッシュバックだ。堅物のオールドミスに見える彼女だが、ずいぶん倒錯した欲望の炎がくすぶってるらしい。
 
そうなると彼女が男性と会う直前に、鏡で見だしなみを整えたり、さりげなく髪を直したり、襟を正す様子が、南部の淑女らしい嗜みというよりも男性の目線を意識したなまめかしい仕草に見えてくる。実際に物語が進んでいくと、淑女とはほど遠いセクシュアリティの持ち主であることがわかる。これらはすべてボイスオーバーとフラッシュバックによって観客にのみ示唆される。彼女がマクバニーを待つ夜のシーンは、フラッシュバックとボイスオーバーを巧みに組み合わせ、宗教の構図にオーバーラップさせた3P(夢オチだけど)でフィニッシュする圧巻のカッティング。*3
またその後が怒涛の展開なんだけど、それは見てのお楽しみということで。マーサの過去に何があったんでしょうね。
 
リメイク作の予習のぜひご覧あれ。
 
 
 
 

*1:この例えはどのくらいの世代に通用するんだろうか

*2:シーゲルは当初のこの役をジャンヌ・モローにオファーしたかったらしいけど映画会社の反対にあい結局叶わず。

*3:その他、怪しく揺らめく炎の影とか、マーサの顔が浮かび上がるような照明の落とし方とか、様々な職人芸を楽しめる

「This is me」めっちゃいい 『グレイテスト・ショーマン』感想

ひと昔前まで「終わったジャンル」感を醸し出していたミュージカル映画がここ最近猛烈な盛り上がりを見せている。
ミュージカル映画リバイバルとすら呼べそうな盛り上がりは『シカゴ』そして『ドリームガールズ』あたりからだろうか。
 
ここ最近では『レ・ミゼラブル』、『ラ・ラ・ランド』のヒットが記憶に新しい。
ミュージカル映画リバイバルに関わったキャスト、スタッフが結集して制作されたのが本作『グレイテスト・ショーマン』だ。個人的にはミュージカルにはそこまで思い入れはないんだけど、頭でっかちの映画オタクからなぜか下に見られることが多いので肩入れしたくなる。まあ本作はそんなこと抜きにしても傑作だけど。
 
 
核心には触れてないけどネタバレ気になる方は読まないでください。
 
 

ミュージカルである必然性

ミュージカルの話になると「なぜ急に歌いだすのかわからない」とか「ストーリーがいまいち」と言う人が必ずでてくる。うん、物語に没頭させて欲しいんでしょうね。確かにわからなくもない。ミュージカルパートが増えればそれだけストーリーテリングに割く時間は減るわけで、映画のストーリー性は他のジャンルよりも薄くなりがち。
『シカゴ』や『ドリームガールズ』のように歌手や踊り子の話なら歌やダンスを見せる必然性もあるけど、本作はサーカスの話。
 
舞台は19世紀のアメリカで、ショービジネスの土台を作ったとも言われる伝説の興行師、P.T・バーナムの生涯を描いた実話ベースの物語。当時の人には奇妙奇天烈なサーカスを、ホラとペテンすれすれの手法でアメリカに売り込み、サーカスをショービジネスとして確立させていく過程を成功譚として描いている。
 
確かにミュージカルじゃなくとも成立する物語かもしれない。ミュージカル敬遠派からすると「歌とかダンスはいいからテーマやメッセージをもっと掘り下げてくれよ」となるわけだ。結局は趣味の問題なんで、好きにすればいいんだけど、個人的にはもったいないなと思う。なぜなら、テーマやメッセージを打ち出すことによって観客の心を動かす映画もあれば、直接的に観客の視聴覚に訴えて情動を掻き立てる映画もあるからだ。
つまりそれがミュージカルだ。それに加えてミュージカルだってテーマやメッセージを打ち出す映画と同じくらい、観客の視聴覚に訴えるために工夫を凝らしている。
まさに本作を傑作たらしめているのがそのあたりの工夫なので、そこらへんについて書いていきたい。 

舞台設定とその背景

バーナム(ヒュー・ジャックマン)が生まれ育った19世紀はヴィクトリア朝期はいわゆるパクスブリタニカの時代。世界は超大国イギリスがもたらす平和を享受し、
中産階級が社会の担い手として影響力を増していった。彼らは貞節と禁欲を美徳とし、非常に厳格な倫理観を持っていたといわれている。
ヴィトリア女王への謁見、バーナムの妻、チャリティ(ミシェル・ウィリアムズ)の花嫁教育、そしてなにより下品な「サーカス」への世論の反対にそのあたりの時代背景を読み取ることができる。
 
執事やメイド文化が隆盛したのもこの時期。上流階級をまねた中産階級がこぞって使用人を雇い、家事をしないことがステータスだった。
こういった厳格な倫理観はときに偽善やお上品主義とも批判され、理想に反する存在を徹底的に排除する傾向があったわけです。
それこそ使用人や労働者階級、そして伝統的家族観からはずれる孤児とか婚外子など、マイノリティに対して現代とは比べものにならないくらい厳しい偏見が向けられていたのだろう。
 
こうした背景が本作で雄弁に語られることはない。真向から差別の眼差しを向けられている団員たちのパーソナリティが掘り下げられることもない。なぜかといえば歌と踊りがあるからだ。主題歌「This is me」はまさにこうした社会に対する強烈な抗議として響く。
 
念願だった上流階級への仲間入りを果たしたバーナムが、団員たちをそこから締め出してしまうレセプションのシーン。
苦境から救い出し、自分たちに居場所を与えてくれたバーナムすら自分たちを不当に扱う現実。冷たい目線をものともせず、先陣を切って力強く進むレティ・ルッツ(キアラ・セトル)。彼女のシルエットとパワフルな歌声はこのシーン、そしてこの曲に見事にマッチしてる。
 
気をつけろ 私が行く
自分で叩くドラムが伴奏
見られても怖くない 謝る必要もない
これが私

THIS IS ME 

Word & Music by Benj Pasek and Justin Paul

 
そして若きプロモーター、フィリップ・カーライル(ザック・エフロン)と空中ブランコ乗りアン・ウィーラー(ゼンデイヤ)が許されぬ異人種間の愛を歌った「Rewrite the stars」
 
私たちには決められない
みんな指図するの
運命は変えられやしない
私たちのものじゃないの 世界は今夜も

REWRITE THE STARS

Word & Music by Benj Pasek and Justin Paul

 

このシーンは本当にすばらしい。誰もいないサーカスの劇場で二人は束の間の空中遊泳を楽しむのだが、ここでは重力がヴィトリア的抑圧の代替として機能している。
 

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(C)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation
 
ちなみにほぼノースタントで撮影したというから驚きだ。
あと中央のスポットライトを使って上手く光と影の演出を盛り込んでいるのも上手い。
役者の顔に影を落とすことで、理想と現実のギャップ感に拍車をかけているし、クライマックスへの布石にもなっている。二人がスポットライトを浴びてキスするそのシーンでは、しっかりとカメラは二人の顔をとらえてシネスコのスクリーンいっぱいに彼らを映し出す。
 

バックステージ映画としての演出

光と影のイメージはこのシーンだけじゃなくいろいろな場面で登場し、本作がバックステージものであることをしっかりと教えてくれる。
 
スポットライトを真向から浴びる正面。その姿を背中から映す一転して華やかな世界に影ができる。
映画『ブラックスワン』でも多用されていたこのショットはバックステージもの映画の特権のようなショット。
オープニングはまさにバックステージから舞台から飛び出すバーナム(観客席の下にある裏同線で撮ってるので足拍子をとる観客も背面から撮っている)を背面から逆光でとらえる。
 
あとジェニー・リンド(レベッカ・ファーガソン)がはじめてアメリカで歌を披露するシーンもよかった。バーナム含めて全観客が「Never enough」を歌うジェニー・リンドにくぎ付けになるなかチャリティだけ夫のジェニー対する特別な眼差しに気づいてしまう見事な視線劇。ダンスなしの歌のみで聴かせるパートだからこそできる演出。
 
ここの歌はアテレコでレベッカ・ファーガソンは歌ってないんだけども、圧倒的な歌唱力で観客を魅了すると同時にどこか影(さっき言った出自に関する負い目)を感じさせる演技が細かいながらしっかり効いていた。ちなみにレベッカはジェニー・リンド同じくスウェーデン出身の女優さんで『ミッション・インポッシブル』の次回作にも出演決定。怪しい魅力に満ちたパフォーマンスは今後も楽しみ。
 

まとめと余談

パセック&ポールの楽曲がいいのはもちろんだけど、長編映画デビュー作とは思えないマイケル・グレイシーの演出力。MV出身だけあってミュージカルパートの見せ方はうまいし、構成力も高い。
というわけでミュージカルの魅力をコンパクトに凝縮したハイクオリティな傑作。
 
年のせいか最近長い映画がきつくて(最近どの映画も長い)、100分以下にコンパクトにまとめてくれる手腕にとにかく脱帽。いやほんと『デトロイト』とか観にいきたかったけど上映時間で腰がひけてしまった……。
 
 ちなみにこの監督はハリウッドで実写化する「NARUTO」の監督。きっと公開されたら日本で吊るしあげられることになるでしょう。もういっそのことナルトをヒュー・ジャックマン、サスケをザック・エフロンにやってもらってミュージカルにしちゃえばいいんじゃないでしょうか。
 
とにかく「This is me」はとってもいい曲。いまもサントラ聴きながらこの記事書いてます。ミュージカルはやっぱり映画館で観るのがいい。ぜひ劇場へ。

アクションの癖がすごい 『悪女/AKUJO』感想

ブルース・リージャッキー・チェンドニー・イェンのように超人的な身体能力とスキルで魅せる軽量級アクションや、アーノルド・シュワルツェネッガーシルベスター・スタローンのようなゴリゴリのマッチョがパワフルに魅せる重量級アクションは、役者の身体性を最大限に引き出すことで観客を魅了するバスター・キートン型のアクション映画。
 スターウォーズマトリックス、近年のマーベル映画はCGなどの特殊効果を駆使してアトラクション的な映像体験を産み出し、高次元のアクションへと昇華させるタイプのアクション映画。ギミックでアクションを映えさせるという意味ではチャップリン型と呼べる。
 何が言いたいかというと、アクションはシンプルなゆえに歴史が長く、その引き出しは既にほとんど開けられてしまったジャンルである。
 
 
…などといかにもシネフィルっぽい分類ぐせと根拠のない断言でなんとなくアクション映画って下に見られがち。頭使わなくても基本見れますしね。かくいう私もそんなふうに考えていた時期がありました。
 
だがしかし…。クリエーターたちの執念はすごいもので、『レイド』『ハードコア』『ベイビードライバー』『アトミックブロンド』など、21世紀に入り映画の歴史が百年を超えた現在でも、続々と新鮮なアクション映画が作られ続けている。
 
今年も早速とんでもない映画が公開になった。それが本作『悪女/AKUJO』だ。宣伝文句に偽りはなく、間違いなく、今年NO.1の驚くべきアクション映画だった。
 
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「演技力」の曖昧さについて

 
久々の更新にもかかわらず大きなテーマを掲げてしまい後悔している。
ともあれ、映画やドラマにおける演技は作品の出来を左右するとっても大事なパフォーマンスである。またそうであるからこそ、便利な批判対象にもなる。
言語化できるほど作品を吟味したわけでもなく、「なんとなく気に入らない」といった感覚で作品を批判したいときに、「〇〇の演技が下手」といえば、内容が薄くてもクリティカルに見える。とっても便利な評価項目なわけだ。
 
というのも演技の上手い下手は、共通認識があるようでいざ文字にしてみるとふわっとしか説明できない曖昧なものだからだ。
考えてみると不思議なもので、演技経験のある日本人は少数派だ。あったとしてもお遊戯会や文化祭の出し物でちょっとした役を演じたことがある程度でしょう。
ましてや専門的な教育や指導を受けたことのある人などほぼ皆無だ。にもかかわらず、映画やドラマが公開されると役者の演技力が当たり前のように品評され、しばしば痛烈な批判が加えられる。
 
というわけで、なんとなーく共有されている演技力ってつまるところどういうことなのか、考えてみようと思う。*1
 

*1:本稿の演技は映画やテレビなどの映像作品に限定する

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聖人も悪人もいない物語――映画『聲の形』感想

前置き

さて毎年恒例の感動ポルノの季節ですね。愛は地球を救う。
というわけで「感動ポルノ」と批判された『声の形』をレビューすることにする。
あらすじはこちらを確認してね。
 
映画を鑑賞した後マンガ全巻読破。少し内容がごっちゃになってるかもしれないけどそこはご愛嬌ということで。
本論に入る前に「感動ポルノ」についておさらいしておこう。
 
私たちが障害者の姿に感動しているのは、心のどこかで彼らを見下しているからかもしれません……。2014年12月に亡くなったコメディアン兼ジャーナリストのStella Young(ステラ・ヤング)氏は、従来の「気の毒な障害者」という枠を破った率直な発言で人気を集めました。健常者の感動を呼ぶために障害者を取り上げる風潮を批判し、障害者問題に対する社会の理解を求めました。(TED2014より)

   障害者は感動ポルノとして健常者に消費される - ログミー

 

「感動ポルノ」の名付け親ステラ・ヤング氏のTEDスピーチより引用。詳細はリンク先を参照。

要するに障害者を健常者の都合のいいように消費する一連の風潮のこと。

 

*1:わざわざ公式からひっぱってきたのは、「いじめ」や「聴覚障害」に関する情報が一切出てこないことを確認するためでもある

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東映『仁義なき戦い』シリーズ

「ヤクザ映画の名作」じゃなくて「ヤクザが出てくる名作」なんで毛嫌いしてる人はもったいないよ、というレビュー。
 
対象作品は以下の四作。
 
仁義なき戦い』(1973)
仁義なき戦い 広島死闘編』(1973)
 
この後に『仁義なき戦い 完結篇』や番外編シリーズ『新仁義なき戦い』があるけど、笠原和夫脚本の作品が圧倒的におもしろいし、ストーリーとしても四部作でまとまってるのでとりあえず『頂上作戦』までを一区切りとする。*1
 
*なにを持ってネタバレなのかさっぱりわからないので配慮はしません。
 

*1:『完結篇』は制作の直前に起こった抗争をモデルにしてるため、「実録もの」として料理しづらかった部分がでかい。笠原和夫から脚本を受け継いだ高田宏治の手腕のせいとは必ずしもいえない。

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