学生時代のレンタルビデオ屋バイトのお話。
最低賃金すれすれのくそみたいな時給だったけど、無料で映画やCDをレンタルできたのでけっこう人気のアルバイトだった。
メンバーもバラエティーに富んでて、お笑い芸人の卵(つまんない)、売れないバンドマン(モテる)、クラブのDJ見習い(金ない)、などなどサブカルの泥沼にはまりもがいてるような面々。
仕事は楽だったし、映画もたくさんみれたし、サブカルジャンキーたちともそこそこ仲良くなって映画以外の知識も増えた。当たりのバイトだったと思う。唯一の難点はある古参のバイトがいきり映画オタクだったこと。
いきり映画オタク
その人は最年長で、なんとなくリーダーみたいなポジションにいた。というか本人が精力的にそうふるまっていたので(この時点でややしんどい)、表面上は先輩後輩の関係を保ちつつ、バイトをやめるまでの数年間この人を観察し続けた。
その結果、彼はいきり映画オタクの非常によい標本であることがわかった。その後の人生に何の役にも立たないこの生態観察をここで供養したい。
というわけでいきり映画オタクの生態を思いつくかぎり列挙していく。断っておくが映画オタクではない。あくまで“いきり”映画オタクについて。
ところでみなさんはダニング&クルーガー効果をご存じだろうか。
一言でまとめると、無知な人間ほど自信過剰であるって傾向。バカなのに自信満々なやつが後を絶たないのは、むしろバカ“だからこそ”自分のバカさに気づけない、という考えてみれば「そりゃそうだ」って話。
さて、ここでは「知識が伴わないのに自信満々なやつおよびその振る舞い」を“いきり”と呼ぶことにする。この手のひとたちは自分の
知的水準すら計れないわけで、もちろん他人の知識量もわからない。釈迦に説法、
孔子に悟道、猿に木登り、河童に水練して悦に入る幸せな人々だ。
否定で自分語り
うざいやつの典型だけど、いきり映画オタクもえてして否定から会話に入る。ある作品を見ていないだけで否定される。「○○見たよね。え?見てないの?ダメじゃん」この手のダメ出しを何度うけただろうか。
たかが一本映画見てなかっただけでなぜ否定されねばならないのか。30過ぎて社会経験のないあなたと○○を見てないぼくのどちらがダメなのか。疑問は尽きなかったが、いきり映画オタクは自分の好きな映画を必須教養化するのが大好きだ。
そして彼らが次に好きなのが逆接だ。
常に会話の入りは「いや」「でも」などの接続詞。ちなみに、ただ自分の話がしたいだけで内容は逆接になってないことが多い。彼らは逆接を「俺の話を聞け」を意味する掛け声として使っている。
さらにいきり映画オタクは「代表作をあえて否定する」話法を愛用する。たとえば
小津安二郎。一般的には『
麦秋』や『
東京物語』あたりが代表作に入るが、あえて失敗作とされる『東京暮色』を推してくる。
さて実際にあったやりとりを書き起こしてみるとこんな感じ。
いきり「小津のベストってなんだと思う?」
ぼく「え?(なんでいきなり小津なんだよしね)やっぱり『
東京物語』とかですかね」
いきり「あ~はいはい。小津は戦後が注目されがちだけど戦前の『東京暮色』って知ってる?」
ぼく「(知ってるしね)」
別にこちらが
小津安二郎に興味があるかどうかなどお構いなしにふってくるので、当然、
知名度が高い代表作を返す。
そうすると一般的に評価の高い作品を否定する絶好の機会を簡単に作り出せるわけだ。
してやったりと言わんばかりにマイナー作品を挙げて勝どきをあげるという寸法。
ちなみに『東京暮色』は小津の中では失敗作とされている映画。知ってるひとならわかると思うけど、小津らしくない暗い映画で、個人的なベストに挙げるのは別にいいけど、これを代表作としてしまうのは、
逆張り以上の価値が見当たらない。
ぼくはこの手の会話を3回くらい繰り返した後、すべての質問に「知らない」と答えることにした。その人のなかでぼくは
宮崎駿すら知らないやつになってた。
補足すると、いきり映画オタクは高確率で小津好きの黒澤嫌いなので、黒澤を褒めてはいけません。日本の巨匠といえば黒澤なわけで、ここでもメジャーを否定したい彼らの“カウンター精神”が発揮される。頼もしい。ま、普通に小津もメジャーだと思うけどやたら黒澤が目の敵にされる。
完全な推測だが、どちらかというと黒澤のほうがアメリカ受けがよく、小津がヨーロッパ受け。
スピルバーグやルーカスやらの超ヒットメーカーたちが色んなところで黒澤リスペクトを口にするんでその分
知名度の部分では一歩リードしてるイメージ。
このへんは「それぞれ好みがありますね」なんていう魔法の言葉でなんとか大目に見れる。
では次にいきり映画オタクのパブリックエネミーこと「最近の日本映画」に対する批判を紹介しよう。
最近の日本映画批判
個別の作品、作家に対する否定よりも頻出するのがこの話題。その古参バイトの前で邦画の話題作の話をしようものなら、「最近の日本映画ってさ~」という枕から繰り出される長ったらしいお説教をきくハメになる。
なかでも製作委員会方式を的にするのはよくある手口だった。
みなさんご存知のように、日本では製作委員会方式が主流。映画は当たり外れがでかく、その予測も難しいので、主にリスクを分散する目的で採用されてる。
かっこよく言うとリスクヘッジってやつね。映画会社が単独で出資するのではなく、たとえば原作の出版社、テレビ局、レコード会社などが出資して製作委員に名を連ねる。
「え?これ映画にあってないよね?」みたいな曲がテーマソングになるのはこういうわけ。
リスクヘッジできたり、業界横断して多角的に宣伝できるのはいいんだけど、その分足並みそろえるのが難しい。
大きな会社がたくさん顔を並べているわけで、それぞれの顔色をうかがいながら映画を作らなきゃならない。いわゆる「大人の事情」ってやつが大きく働く。
予算が足りないだとか時間が足りないだとか、そういう映画製作ではままある事態に迅速に対応できない。結果、難航が予想されるような企画にははじめから手を出さず、当たり障りのない作品に逃げがちになる。
要するに尖った作品がなかなか出てこない。だから『シン・ゴジラ』みたいな映画が東宝単独出資で製作されて大ヒットを記録すると、鬼の首をとったかのように製作委員会方式を槍玉にあげる。
しかし、東宝にとってゴジラは特別なタイトル。『シン・ゴジラ』の成功を餌に製作委員会方式を叩いている多くの論者が見落としているけど、12年前に製作された前作『ゴジラ FINAL WARS』も東宝単独製作なのだ。そしてこの作品は興行的に大失敗している。伝統的にゴジラの製作は東宝単独で行う。
そしてそれは必ずしも成功を約束しない。もちろん『シン・ゴジラ』の成功が単独出資であるがゆえの柔軟性と関わる点は否定しないが、まるで諸悪の根源が製作委員会方式にあると考えるのは短絡と言わざるを得ない。んでこれはちょっと調べればわかる単純な事実。
そもそもなぜこの方式が日本独自なのか。本当に製作委員会方式を憎むやつなら普通はまずここを調べると思うが、彼の口からは語られないままだった。
例えば、アメリカはどうだろうか。ハリウッドでは映画会社自体がテレビ局などと合併し、巨大なコングロマリットとなっているのでいちいち製作委員会を組む必要がない。国内のスクリーン数も違うし、母語が英語だし国外マーケットもでかい。
平たくいえば動く金の規模が違うということになるのかな。
では、日本に条件の近い韓国はどうだろうか。韓国では政府の肝いりで設立された第三セクター、韓国映画振興委員会が旗振り役となり、映画ファンドが非常に盛んで、ベンチャーキャピタルや個人投資家から集めた資金をもとに製作されるケースが21世紀に入り主流となっているらしい。確かにここ最近の韓国映画の勢いはものすんごい。国による映画振興政策が功を奏したというわけ。
つまり、日本の映画会社が単独出資で戦える世界ではない。だからこそ、業界を横断した横のつながりでなんとかもっているのが日本映画の現状なわけでそこを叩いてもしょうがない。
いきり映画オタクはこういったお金の話が苦手だ。表向きには商業主義を否定する仕草でうやむやにしようとするけど、ほとんどただ単に苦手なだけだとぼくは思っている。なんでかというと社会経験がない。そして社会経験を積むことそれ自体を拒絶しているからだ。
働いたら負けだと思ってる
古参アルバイトは当時30代前半だった。職歴はなく大学で映像系の学部を専攻していたらしい。大学卒業後、バイトしながら配給会社で
インターンをしたり、制作現場でちょっとした手伝いを
したことがあるらしい。でも結局、身につかず、紆余曲折を経て専門学校に通っているらしかった。
ある種『
ラ・ラ・ランド』のセバスチャン(
ライアン・ゴズリング)のような人だったのかもしれないが、現実にいると自意識がこじれてだいぶ厳しいことになってるので気をつけてほしい。
ぼくも就職活動中は映画関係の会社を受けたりしたので、「映画業界入りたいんだったらもっと勉強したほうがいいよー」とか言いながらぼくに共感を抱いてくれたっぽい。結局、エンタメ業界なんて狭き門に受かるはずもなく、別業界に就職が決まった。それが人づてに伝わったらしく、「あー、やっぱ現実とっちゃうか」という主旨の“恨み言”を言われた。
そんなこと言われても内定でたの第一志望の業界だしなー、はなから現実しか見てないのになー、と困ってしまったが、どうやら彼のなかでは同じ夢を抱く同志のポジションに格上げされていたらしい。
「いやいや
記念受験っすよ先輩」とはさすがに言えなかったし、何よりかなりいらっとしたので無視してしまった。ちなみにぼくは
リーマンショック直後に就職活動した2010年卒。いわゆる
就職氷河期世代。涙なしには語れない就職戦線。ぼくも含めて同世代のバイト仲間はみんな苦戦していた。自ずと職場には就活関連の話題はタブー、という暗黙の了解ができていたのに、その人だけは例外だった。
内定者に対して「安定とっても続かなきゃ意味ない」だの「あの業界(ICT)もそろそろ危ないよ」など、ぼくらバイト仲間内で「あれ?思ったより重症だなこの人」というのが知れ渡り、就活生に配慮してというより、その人に配慮してますますこの話題はタブーとなった。
社会経験がないのに社会を語る、童貞が語るセックスのような含蓄のある話が聞けて、こちらとしてはいい社会勉強になった。ちなみにそのバイトは内定が出たすぐ後にやめた。大学卒業前にふらっと前を通りかかったら店自体がつぶれていた。近くにできた
TSUTAYAに根こそぎ客を持っていかれたらしい。社会はとても厳しいところである。