NO MORE 映画マウンティング

主に新作映画について書きます。

R指定の再帰的ファンタジー 『シェイプ・オブ・ウォーター』感想

美女と野獣、かえるの王さま、シザーハンズナウシカ王蟲、王とコムギなど、異形のものと人間のロマンス、ないし交流を描いた作品はたくさんある。いわゆる異類婚姻譚というやつだ。

異類婚姻譚でも古典中の古典ともいえる物語はアンデルセン童話の『人魚姫』ではないだろうか。人間の王子に恋をした人魚が、声と引き換えに尾ひれを足に変えてもらい、王子と結ばれるべく人間界に降りたつ悲しいロマンス。
 
本作の主人公、イライザ(サリー・ホーキンス)も声を発することができない。彼女の人生を変えたのは、人魚とは程遠いある水棲生物との出会いだ。1962年、冷戦下のアメリカ。童話とは似つかわしくないこのきな臭い時代を舞台に『人魚姫』の物語が思いもよらぬ形でよみがえる。
 
あらすじ書くのめんどうなので適当に公式サイトでチェックしてください。ただ予備知識なしで見たほうが面白い映画なので自己責任でお願いします。ネタバレありです。モロにラストに触れます。
 

おとぎ話のミスリード

水に沈んだある部屋。家具が浮かぶ幻想的な光景のなかで眠る女性。おとぎ話のはじまりを思わせる"いかにもな"ナレーションとともに幕を開ける本作。
このナレーションが曲者というか本作のポイント。というのもナレーションで語られる"若い王子様"とは、本作に登場することのない人物だからだ。
 
この“若き王子様”とはジョン・F・ケネディに他ならない。本作が描く時代、1962年のアメリカは、キューバ危機で冷戦の緊張が最高潮に達した現代史上最もきな臭い時代。ご存知のように当時のアメリカ大統領は、ジョン・F・ケネディであり、この翌年に凶弾で倒れる。
 
 他にも、政府側からはアセット(=ソ連との宇宙開発競争を有利に運ぶもの)と呼ばれる不思議な生きもの(ダグ・ジョーンズ)が研究所に到着するシーン。不吉な劇伴が、冒頭ナレーションで語られた“モンスター”の到着を予感させる。そこへものものしい水槽が運び込まれてカメラが近づく、と思いきや寸前で右にパンしてストリックランド(マイケル・シャノン)を映す。
 
そう、“モンスター”とは不思議な生きもののことではなく、ストリックランドのことだ。
 

ファンタジーだけどファンタジーじゃない

やんごとなき美男美女たちが結ばれるファンタジーをイメージしていると壮大な肩透かしをくらう。
 
ホラー映画のクリーチャーにしか見えない造形の“彼”、いきなりストリックランドの指は食べて流血沙汰、せっかく救出してあげたかと思えば、その功労者ジャイルズ(リチャード・ジェンキンス)の愛猫を食べてしまう。
 その他の登場人物たちもみんな地位も名誉も美貌もなく、ファンタジーとは無縁の世界で生きる住人たちだ。
 
登場してすぐに自慰行為に耽り、放送禁止用語だって平気でぶちかますイライザ。またその親友であるジャイルズは、時代遅れの広告イラストレーター。いつもまずいキーライムのパイを買わされてしまうコミュ障。イライザの職場のパートナー、ゼルダは黒人。彼女はしたたかでしっかりした性格だが、当時は公民権運動の真っ最中。現代よりもはるかに黒人が迫害されていた時代。社会的地位は低い*1
おまけに敵っぽいストリックランドの武器が高圧電流が流れる警棒ときてる。なんと夢も希望もない物語だろうか。
 
f:id:asayowai:20180303004552j:plain
 

The Shape of Water (2017)

(C)2017 Twentieth Century Fox

 
「誰も観たことのない究極のファンタジー・ロマンス」とは何だったのか。
 
さらにイライザとジャイルズの懐古趣味がさらに彼らを色褪せさせる。二人が暮らす部屋の粗末さ。50年代に爆発的に普及した郊外の一軒家(まさにストリックランドが暮らす家がその典型)と比べて、映画館という中心市街地に取り残された彼女たちのアパートはあまりに暗くて古い。
 
また彼女たちが好む前時代的な音楽は、作中、劇伴、そして驚きのミュージカルシーンまでふんだんに使われている。つまり美術、音楽、衣装すべてが古い。これらはイライザとジャイルズのキャラクター造形を深める一方で、独特な時空間を形成し、時代感を麻痺させる。ある種の現実逃避ともいえるような、ファンタスティックな世界観。
周縁的な人物によって演じられる異色のファンタジー。でもきっとギレルモ・デル・トロは言うだろう。
 
「周縁的な人物だからこそファンタジーが必要なんだ」と。
 
それが本作のプロモーションから彼がしゃべりすぎなくらい語っていた本作のコンセプトだ。
いやでもこの映画ってはたしてファンタジーなんだろうか。

やっぱりファンタジー

人魚姫は人間になることで声を失う。声を失ったことで王子とコミュニケーションがとれない。それにより思いを通わせることができず、泡となって消える。一方のイライザは人間でありながら声を失い、少数を除いて人間とコミュニケーションがとれない。しかし、言語が通じない“彼”とは手話や音楽など、彼女ならではの方法でコミュニケートできる。
 
そしてこの“彼”には、治癒能力のような特殊な力がある。これがまたちょっとしたミスリード。「おそらくこの能力で彼女は声を取り戻すのだろう」と予想した人も多いと思う。
 
残念ながらその予想はあたらない。“彼”は最後、この能力を使って瀕死のイライザを救い、そして彼女の首の傷をエラに変える。つまり、彼女は人魚になるわけだ。
 
著名な童話のストーリーを裏からなぞり、ファンタジーを逆転させる歴史的な結末。『人魚姫』や仮想敵として挙がる『美女と野獣』とは対極の、脱人間中心主義ともいえる美しいシーン。
「ファンタジーだけどファンタジーじゃない」「ファンタジーじゃないのにファンタジー」。このシーソゲームをスリリングに演出して最終的にファンタジーに着地させる物語設計。彼女たちは地位も名誉も美貌も手にしなかったが幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。
 

まとめ

ファンタジーを再定義するキャッチーなコンセプト、コンセプトを成立させる見事な演出と物語設計。表現が制限された役をしっかり演じきったサリー・ホーキンスダグ・ジョーンズ。従来のファンタジーをやや雑に一般化して仮想敵にしたプロモーションは気になるけど*2、映画としては文句のつけようのない傑作。
 
 
ちなみにアニメ版と実写版の『美女と野獣』も童話的ジェンダーを逆転させた野心作だと思いますので興味のある方は下記もぜひ。
 

余談 公開前のR18指定→R15指定論争

本作のアメリカ公開版はR18指定、日本公開版はR15指定。そのため、公開前に「重要なシーンがカットされているのでは?」と話題になり、こんな記事も出ている。
 

私が「シェイプ・オブ・ウォーター」を劇場に見に行かない理由 映画作品に”手を加える”ということ - ねとらぼ

 

引用されている配給会社ツイートによると、一箇所だけぼかし処理を施したとある。この記事は「一箇所だけでも作品への冒涜だ!」的な怒りの主張をされているけど、拍子抜けするほどどうでもいいシーンでしたよ。どうでもいいシーンだとしても問題だ、というのが趣旨だからこの方には無意味な余談だけど、そうじゃない方は安心して劇場へ。芸術として映画を観るって大変なんですね。

なお具体的なシーンを知りたい方は脚注をご覧あれ*3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:同じく1962年のボルチモアを舞台にした映画『ヘアスプレー』が黒人差別をテーマとした物語であったことを思い出す。

*2:やたら『美女と野獣』がやり玉に挙げられていたけど、ディズニー版アニメも実写もありきたりな美女と王子のおとぎ話じゃない。

*3:ストリックランドと奥さんの正常位SEXを俯瞰で撮ったショット。もろに腰振ってるのでぼかさないとR18指定になるみたい。ぼくがプロデューサーなら絶対カットを命じますね。すげーどうでもいい。