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鎧塚みぞれは何のシャンプーを使ってるのか 『リズと青い鳥』感想

「日常系アニメ」の究極進化形をまざまざと見せつける驚異的アニメーション。バカみたいな感想だけど、やっぱりアニメーションがきれいだった。アニメの登場人物に「この人何のシャンプー使ってるんだろう」と思ったのは初めての経験で、自分気持ち悪いなと思ったけど、それくらい鎧塚みぞれちゃんの髪がきれい。なんだあの質感は。作品の世界観にあったライティングと色彩設計。なによりもまず作画レベルが高い。
 
ストーリーは驚くほどシンプルで、とある吹奏楽部のオーボエ奏者みぞれとフルート奏者希美のすれ違いを描く。「リズと青い鳥」は彼女たちが演奏する自由曲の名前。この曲のオリジナルは同名タイトルの架空の絵本で、この絵本のストーリーをみぞれと希美の関係にオーバーラップさせつつ、「リズと青い鳥」を練習する二人を描く。
 
たったこれだけのストーリー。『花とアリス』のように思春期の友情を引き裂く三角関係が介在することはなく、全国大会優勝という大きなドラマもなく、青春と呼ぶにはあまりに静かに、ただ二人の少女に訪れた友情の過渡期を細密画のようにゆっくりと描き出す。はっきり言ってものすごい地味なストーリーなんだけど、作画×演出×展開の三つが組み合わさると十分名作になり得るんだなと改めて感心させられてしまった。
作画については予告編なりなんなりを見てもらうとして、以下では演出と展開について簡単にレビューしたいと思う。
 
ちなみにぼくはTVアニメシリーズ未見で鑑賞しました。※ネタバレあり。
 
 

liz-bluebird.com

 

 

山田尚子演出の巧みさ

 本作を特徴づけるのは間違いなく婉曲的な語り口だ。
 
寡黙で感情表現の乏しいみぞれ。屈託なく誰とでも気さくに話す希美。みぞれの「ん」という肯定とも否定とも受け取れる曖昧な音によって展開される二人の会話に、通常の映画で期待されるような状況説明やこれから訪れる展開のヒントは読み取れない。何かが明示的に語られてしまえば、その瞬間に二人の友情が失われてしまうかのように、王道的なストーリーテリングは固く禁じられているように感じた。
 
おかげで「響け!ユーフォニアム」未見(未読)の観客(つまりぼくだ)にとって前半はかなりもどかしい思いをする。
 
本家のストーリーについては適宜ウィキを参照してもらうとして 、
 『リズと青い鳥』と関連する部分についてざっと説明しておこう。
北宇治高校吹奏楽部には黒歴史がある。それが大量退部事件だ。年功序列でコンクールに出場しようとするやる気のない上級生に嫌気がさして有望な一年生が大量に退部してしまった。傘木希美はその時に退部、鎧塚みぞれは吹奏楽部に残った。傘木希美が部に再入部する話は主にアニメ二期で描かれることになる。超優秀な顧問の赴任、そして新入生の台頭により蘇った北宇治高校吹奏楽部であったが、いまだ大量退部事件は部員たちにとって負の歴史になっている。なかでも鎧塚みぞれは傘木希美が自分に黙って退部したことによって大きなショックを受け、希美のフルートを聴くだけで吐き気を覚えてしまうくらいのトラウマとなっていた。TVアニメシリーズでは周りの部員のフォローもあり、和解して一件落着となったが、みぞれの病的な希美への依存の根本的解決は描かれなかった。なぜって彼女たちは主役ではなかったからだ(本家の主役は新入生たちである)。
 
 
監督の山田尚子が言うように、アニメが吹奏楽部全体を描くマクロの物語なら、本作はみぞれと希美の二人の関係だけを描くミクロの物語。ともすればおきまりの記号的な表現に頼りがちなアニメーションで、些細な一瞬の仕草や表情に、キャラクターの感情を乗せる山田演出が冴えわたる。
 
例えば、希美がみぞれをプールに誘うシーン。みぞれが「他に連れていきたい子がいる」と申し出ると希美は表情が固まる。
なぜなら、みぞれが希美以外の人間を誘うことなど前代未聞だったからだ。しかし、希美の前を誰かが横切ったその一瞬で希美の表情はいつもの明るい笑顔に変わっている。
この0コンマ数秒の演出で希美の笑顔が作り笑いであることを示すと同時に、みぞれの世界に変化の兆しが見られたことを提示しているわけだ。
 
こうした細やかな演出の積み重ねが、「友情の変化」というありきたりな高校生の日常に儚さと尊さともどかしさが加わる。
 

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(C)武田綾乃・宝島社/「響け!」製作委員会
 
 
本作の婉曲的な語り口が意味するのは、山田監督がアニメーション表現を開拓していることを意味するとともに、ストーリーのテーマに欠かせないアクセントをつけているのだ。
 

ストーリーテリングの巧みさ

 一方でこのような婉曲的な語りは観客に一定のリテラシーを要求するものでもあるだろう。パズルのピースを一つ一つ拾い上げ、その都度はめこんでいくように、全体像が浮かび上がるまで辛抱強く画面を見つめ続けなければならない。理解力の優れた鑑賞者ならそれほど苦ではないのかもしれないが、ぼくのような情報処理に難がある鑑賞者にはなかなか高いハードルである。
 
でもそんな方も安心してほしい。本作はみぞれと希美の関係をガイドしてくれる童話「リズと青い鳥」がある。
 
森で孤独に暮らす少女リズはある朝、ひとりの少女と出会う。リズと少女はお互いかけがえのない存在となって生活していたが、
リズは少女のある秘密に気づく。実は少女は空を自由に飛び回る青い鳥で、少女の姿は仮の姿だったのだ。
リズは次第に自分が少女の鳥かごになってしまっていることに気づき、少女との別れを決意する。
二人にとって辛い別れであったが、少女は青い鳥となり自由な空へと旅立っていく。
 
というお話。
 
みぞれは、自由曲のモチーフともなるこの童話を自分と希美の関係に置き換える。孤独で人付き合いが苦手なみぞれがリズで、自由奔放な希美が青い鳥だと。そして自分は青い鳥と別れることはできないと悩み、自由曲のストーリーに感情移入できないみぞれ。なかなか演奏も上手くいかない。
 
リズ=みぞれ、青い鳥=希美という図式で物語が進むが、この関係が後半一気に逆転する。希美を失う恐怖で縛られていたみぞれこそ、希美=リズの元から旅立つ青い鳥であったという大きな転換が本作一の山場になる。
 
着地点を観客に予想させながら終盤で裏切る。娯楽映画の基本ともいえる物語設計だが、本作で実施される意味は大きい。ワンシーン、ワンカットの細部では野心的な婉曲描写を積み重ねて、全体のストーリーテリングでは安心安定のお約束を踏襲する二段構えの戦略。ぼくみたいな観客にとってこういうベタな物語の作りがどれほどありがたいか。
 
ただこれ物語の展開上、作品のクライマックスが「きたるあのシーン、あの人物、あのパートの演奏」ということが容易に予想できる(というかさせる)作りになる。
 
もったいぶらずに言ってしまうと、希美離れを決意したみぞれのオーボエソロパートがどのように描かれるかである。この一点への期待値が極限まで引き上げられてしまう。これ、観客側としては熱い展開なんだけど、作り手としてはけっこう怖いよね。ただでさえ、演奏シーンをどう魅力的に表現するかって映像表現として難しいのに、さらにハードル上げちゃうわけだから。
 
このバカ高いハードルを軽々と超えてくる。もう鳥肌立ちすぎてぼくらも鳥になれるんじゃないかというくらいに素晴らしい演奏シーンになっているのでぜひ観てほしい。こういうレビュー書いてると「いいシーンだけどあんまりハードル上げちゃうと悪いかな」とか気兼ねすることも多々あるんだけど、みぞれの覚醒オーボエソロパートに関してはなんの心配もいらない。本当にすごいシーン。(同時に希美にとってはみぞれが手加減していたことがわかる残酷なシーンなわけでそのギャップもまたいい)。
それまでのゆったりとした時間間隔が一変する緩急。空間をゆがませて音を振動として視覚化させる表現。オーバーラップする童話「リズと青い鳥」の物語。複雑な思いでみぞれのソロを聴く希美の涙。
 
それまでの全てを凝縮した圧巻のシーンだった。
 

まとめ

山田尚子おそるべし。『聲の形』の時は原作の良さもあるのかなと思っていたけど、この映画は山田尚子および京アニクオリティを純粋に楽しめる脚本だったので、改めて驚かされた。どんな題材でもしっかり料理できる作家だったんだなと。スピンオフとはいえ、シンプルなプロットのストーリーだけに余計わかりやすい。

 

以前に書いた『聲の形』評はこちら。感想というより当時の批判に対する反論って感じですが。

asayowai.hatenablog.jp