R指定にかけた男たち ウルヴァリンシリーズ最終作『ローガン』感想
MCUの大成功でアメコミ映画は親子で観にいく定番ジャンルになった。
今回の『ローガン』はローガン/ウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)と謎の少女ローラ(ダフネ・キーン)の「親子もの」。
はい、ごめんなさい。超傑作でした。ありがとう20世紀FOX。ありがとうジェームズ・マンゴールド。
あらすじ
主人公ローガン/ウルヴァリン(以下ローガン)は寝たきりに友人チャールズ/プロフェッサーX(以下チャールズ)の介護をしながら、リムジンの運転手として生計をたてている。
いつか自分たちの船を買い、洋上で暮らす夢を見るが、チャールズの病状は悪く薬代も家計を圧迫し、いまの暮らしすらままならない。
そんな折にきな臭い仕事が舞いこむ。依頼者はローガンの過去を知るわけありの女性と謎の少女。嫌々ながらも巨額の報酬につられて引き受けるローガン。
依頼人が待つさびれたモーテルに向かうが、そこには変わり果てた女の姿が・・・。ローガン、チャールズ、謎の少女一行を待つ運命とは。
お察しのように超人バトルアクションを期待するぼくたちにとっては「なんのこっちゃ」という話だ。
登場するXメンのメンバーはローガンとチャールズのみ。いまや彼らも「超人」というよりただの「老人」で能力を思うようにコントロールできず、逆に苦しめられている。
Xメンシリーズの野心作
過去のXメンシリーズは人間とミュータントの戦争を描いた作品。アメリカ、あるいは世界を人間/ミュータントに分ける大文字の出来事を描いたSF戦争映画と分類しておこう。
本作『ローガン』はそのスピンオフシリーズ。とはいえ、スピンオフ作品って脇役をフューチャーしてサイドストーリーをコンテンツ化する手法なんだけど、本スピンオフシリーズの場合は主役のローガンのお話。
他のキャラクターが出てこないだけで本編のXメンシリーズとほぼ変わらない大文字の歴史といえるだろう(なぜなら本編でも「ローガンの記憶」は主軸プロットのひとつだからだ)。
あらすじだけで本作『ローガン』が異色のXメン映画ってわかりますよね。これは「ミュータント」ではなく「人間」の物語。死に場所を探す男の個人的な物語で、「世界」や「未来」なんていうかっこいい目的じゃない。
舞台は2029年、近未来ではあるけどSF戦争映画の要素はまったくない。むしろ西部劇や70年代のロードムービーをモデルにした近未来とうってかわった懐古的な空気が漂っている。
監督自身が明言していることだけど、本作のコンセプトは明らかにイーストウッドの『許されざる者』意識している(パンフレット掲載のインタビュー参照)。『許されざる者』はハリウッドのお家芸である西部劇を解体した映画と呼ばれている。
西部劇は「アメリカ」建国の物語。国を二分する南北戦争が終結し、未開の地であった西部を本格的に開拓しはじめたアメリカ繁栄の礎となった時代のお話。先住民と戦う、あるいはその最前線である西部の秩序を守る西部劇のキャラクターは紛れもなくアメリカの「ヒーロー」だった。
その英雄譚であった西部劇をリアリティという名の銃弾で蜂の巣にしたのが『許されざる者』だ。町の秩序を守る保安官によるむごいリンチ、伝説的なガンマンの虚飾を暴く、主人公は的を外し、馬にもまともに乗れず丸腰の相手を撃ち殺す、など挑戦的なストーリーで超傑作を作り上げてしまった。
いわばヒーローの「脱神話化」をはかったともいえよう『許されざる者』のテーマは、本作のスーパーヒーローである元Xメンたちにも通ずる。
彼らも「人間」である以上老いには勝てず、世界を救った能力は己を蝕み、他者の命すら奪ってしまう「呪い」として描かれている。「許されざる者」テーゼの導入。これは必然的にレーティング指定と結びつくテーマだ。
R指定(日本はR15+指定)
ローガンの爪は簡単に人体を破壊することができる。噴き出る血。断末魔の叫び。切り落とされる四肢。レーティングを避けたXメンシリーズでは周到に隠されていた生々しくリアルな「殺し合い」がある。本作のローガンはシリーズ最弱でありながらシリーズ最恐の戦闘を見せてくれる。
それ以上に最恐っぷりを披露してくれるのがちっちゃいローガンことローラ(ダフネ・キーン)ちゃんだ。なんせ飽きたおもちゃを放り投げるみたいに、生首を放り投げてくれて初陣を飾ってくれるんだから。弱冠12才の女優になんてことさせるんだよ…と思いつつも頼もしい後継者の登場に心躍るシーン。
おまけに英語とスペイン語をはなせるバイリンガルで、ダサいサングラスがよく似合う将来有望な女優さん。かわいい女の子がマッチョをなぎ倒す爽快感はキックアスに通じるところがあり、日本の子役はやはり優等生すぎる嫌いがあるよなーと思う。まあいいや。
んで無愛想な顔が逆にかわいいダフネちゃんなんですけど、演出というか脚本も巧妙。というのも終盤までほとんどしゃべらない。その上施設育ちで超人訓練しかしてないもんだから、社会常識がない。
未会計のお菓子ばりばり食うし、お呼ばれした夕食も手で食べちゃう。この野生児っぽい前半のタメが、後半にいきてる。ローガンとのコミュニケーションがはじめて成立するシーンなんて『野生の少年』的な感動がある。
さらにそのモーテルを出発してアメリカ国外を目指すってなかなか皮肉がきいてて、2029年のアメリカに自由(少なくともマイノリティが暮らす)はないのかもしれない。
ローガンのアイデンティティ
ここまで本作のXメンシリーズにおける異質性に焦点をあてて感想を述べてきたが、もちろん同シリーズに連なる太い文脈が屋台骨になってる。それはローガンのアイデンティティだ。
彼はXメンシリーズの主役級キャラではあるものの、その立ち位置は常にアウトサイダーだった。チャールズが創設した「恵まれし子らの学園」と直接の関わりを持たないミュータント。ミュータントにとって理想的な社会を作るという大きな目的は薄く、「自分が何者なのか」を求めてさすらう流れ者。
記憶喪失である彼は、誰から生まれて誰に育てられ、誰と暮らしてきたのか、というバックボーンを持たない宙ぶらりんな存在といえる。
本作にはローガンの遺伝子をもつキャラクターが二人登場する。ひとりはみなさんお察しのとおり謎の少女ローラであり、もうひとりは完全兵器と化したウルヴァリンのクローン。わざわざ書くのも恥ずかしいけど、前者は未来であり、後者は過去ということだろう。
記憶を抹消されて体内改造されたローガンだから許されるけど、おっさんが固執するには青臭すぎてしんどい問いだよね。
でも本作のラストはこの問いに対するベストなアンサーだと思う。別にそれ自体は突飛でもないありふれた着地点ではあるけど、本作のアプローチを含めて「そういうことだよね」と心のなかでそっと噛み締められるすばらしいラストだと思う。
まとめ
繰り返すけどR指定を受けるってのは興行的に大打撃。それもドル箱であるXメンシリーズの作品だ。20世紀FOXも脚本段階で当然覚悟していたはずで、これにGOサインを出したメジャースタジオにまず拍手を送りたい。
もちろん、監督脚本をつとめたジェームズ・マンゴールドもそうだし、キャストもそうだ。ダフネ・キーンの発掘がなければこれほどクオリティの高い作品にはなってなかったと思う。
そしてもちろんヒュー・ジャックマン。R指定をFOXに飲ませるためにギャラの減額を申し出た、との噂もある侠気イケメン俳優。演技面でも、くたびれた汚いおっさんになりきり(戦闘マシーンであるクローンウルヴァリンと一人二役もこなしつつ)、前作とガラッと変わったキャラクター像をしっかり再構築していた。
その意味で義侠心に富んだローガンらしいキャストとスタッフ、映画会社がなし得た奇跡のような映画。やっぱ興行師は博奕打ちだよなーと思える超傑作!