NO MORE 映画マウンティング

主に新作映画について書きます。

「This is me」めっちゃいい 『グレイテスト・ショーマン』感想

ひと昔前まで「終わったジャンル」感を醸し出していたミュージカル映画がここ最近猛烈な盛り上がりを見せている。
ミュージカル映画リバイバルとすら呼べそうな盛り上がりは『シカゴ』そして『ドリームガールズ』あたりからだろうか。
 
ここ最近では『レ・ミゼラブル』、『ラ・ラ・ランド』のヒットが記憶に新しい。
ミュージカル映画リバイバルに関わったキャスト、スタッフが結集して制作されたのが本作『グレイテスト・ショーマン』だ。個人的にはミュージカルにはそこまで思い入れはないんだけど、頭でっかちの映画オタクからなぜか下に見られることが多いので肩入れしたくなる。まあ本作はそんなこと抜きにしても傑作だけど。
 
 
核心には触れてないけどネタバレ気になる方は読まないでください。
 
 

ミュージカルである必然性

 

ミュージカルの話になると「なぜ急に歌いだすのかわからない」とか「ストーリーがいまいち」と言う人が必ずでてくる。うん、物語に没頭させて欲しいんでしょうね。確かにわからなくもない。ミュージカルパートが増えればそれだけストーリーテリングに割く時間は減るわけで、映画のストーリー性は他のジャンルよりも薄くなりがち。
『シカゴ』や『ドリームガールズ』のように歌手や踊り子の話なら歌やダンスを見せる必然性もあるけど、本作はサーカスの話。
 
舞台は19世紀のアメリカで、ショービジネスの土台を作ったとも言われる伝説の興行師、P.T・バーナムの生涯を描いた実話ベースの物語。奇妙奇天烈なサーカスを、ホラとペテンすれすれの手法でアメリカに売り込み、サーカスをショービジネスとして確立させていく過程を成功譚として描いている。
 
確かにミュージカルじゃなくとも成立する物語かもしれない。ミュージカル敬遠派からすると「歌とかダンスはいいからテーマやメッセージをもっと掘り下げてくれよ」となるわけだ。結局は趣味の問題なんで、好きにすればいいんだけど、個人的にはもったいないなと思う。なぜなら、テーマやメッセージを打ち出すことによって観客の心を動かす映画もあれば、直接的に観客の視聴覚に訴えて情動を掻き立てる映画もあるからだ。
つまりそれがミュージカルだ。それに加えてミュージカルだってテーマやメッセージを打ち出す映画と同じくらい、観客の視聴覚に訴えるために工夫を凝らしている。
まさに本作を傑作たらしめているのがそのあたりの工夫なので、そこらへんについて書いていきたい。 
 

舞台設定とその背景

バーナム(ヒュー・ジャックマン)が生まれ育った19世紀のヴィクトリア朝期は、いわゆるパクスブリタニカの時代。世界は超大国イギリスがもたらす平和を享受し、
中産階級が社会の担い手として影響力を増していった。彼らは貞節と禁欲を美徳とし、非常に厳格な倫理観を持っていたといわれている。
ヴィトリア女王への謁見、バーナムの妻、チャリティ(ミシェル・ウィリアムズ)の花嫁教育、そしてなにより下品な「サーカス」への世論の反対にそのあたりの時代背景を読み取ることができる。
 
執事やメイド文化が隆盛したのもこの時期。上流階級をまねた中産階級がこぞって使用人を雇い、家事をしないことがステータスになっていた。
 
こういった厳格な倫理観は、ときに偽善やお上品主義とも批判され、理想に反する存在を徹底的に排除する傾向があったわけです。
それこそ使用人や労働者階級、そして伝統的家族観からはずれる孤児とか婚外子など、マイノリティに対して現代とは比べものにならないくらい厳しい偏見が向けられていたのだろう。
 
こうした背景が本作で雄弁に語られることはない。真向から差別の眼差しを向けられている団員たちのパーソナリティが掘り下げられることもない。なぜかといえば歌と踊りがあるからだ。主題歌「This is me」はまさにこうした社会に対する強烈な抗議として響く。
 
念願だった上流階級への仲間入りを果たしたバーナムが、団員たちをそこから締め出してしまうレセプションのシーン。
苦境から救い出し、自分たちに居場所を与えてくれたバーナムすら自分たちを不当に扱う現実。冷たい目線をものともせず、先陣を切って力強く進むレティ・ルッツ(キアラ・セトル)。彼女のシルエットとパワフルな歌声はこのシーン、そしてこの曲に見事にマッチしてる。
 
気をつけろ 私が行く
自分で叩くドラムが伴奏
見られても怖くない 謝る必要もない
これが私

THIS IS ME 

Word & Music by Benj Pasek and Justin Paul

 
そして若きプロモーター、フィリップ・カーライル(ザック・エフロン)と空中ブランコ乗りアン・ウィーラー(ゼンデイヤ)が許されぬ異人種間の愛を歌った「Rewrite the stars」
 
私たちには決められない
みんな指図するの
運命は変えられやしない
私たちのものじゃないの 世界は今夜も

REWRITE THE STARS

Word & Music by Benj Pasek and Justin Paul

 

このシーンは本当にすばらしい。誰もいないサーカスの劇場で二人は束の間の空中遊泳を楽しむのだが、ここでは重力がヴィトリア朝的抑圧の代替として機能している。
 

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(C)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation
 
ちなみにほぼノースタントで撮影したというから驚きだ。
あと中央のスポットライトを使って上手く光と影の演出を盛り込んでいるのも上手い。
役者の顔に影を落とすことで、理想と現実のギャップ感に拍車をかけているし、クライマックスへの布石にもなっている。二人がスポットライトを浴びてキスするそのシーンでは、しっかりとカメラは二人の顔をとらえてシネスコのスクリーンいっぱいに彼らを映し出す。
 

バックステージ映画としての演出

光と影のイメージはこのシーンだけじゃなくいろいろな場面で登場し、本作がバックステージものであることをしっかりと教えてくれる。
 
スポットライトを真向から浴びる正面。その姿を背中から映すと、一転して華やかな世界の影ができる。
映画『ブラックスワン』でも多用されていたこのショットはバックステージもの映画の象徴のようなショット。
オープニングはまさにバックステージから舞台から飛び出すバーナム(観客席の下にある裏同線で撮ってるので足拍子をとる観客も背面から撮っている)を背面から逆光でとらえる。
 
あとジェニー・リンド(レベッカ・ファーガソン)がはじめてアメリカで歌を披露するシーンもよかった。バーナム含めて全観客が「Never enough」を歌うジェニー・リンドにくぎ付けになるなかチャリティだけ夫のジェニー対する特別な眼差しに気づいてしまう見事な視線劇。ダンスなしの歌のみで聴かせるパートだからこそできる演出。
 
ここの歌はアテレコでレベッカ・ファーガソンは歌ってないんだけども、圧倒的な歌唱力で観客を魅了すると同時にどこか影(さっき言った出自に関する負い目)を感じさせる演技が細かいながらしっかり効いていた。ちなみにレベッカはジェニー・リンドと同じくスウェーデン出身の女優さんで『ミッション・インポッシブル』の次回作にも出演決定。怪しい魅力に満ちたパフォーマンスは今後も楽しみ。
 

まとめと余談

パセック&ポールの楽曲がいいのはもちろんだけど、長編映画デビュー作とは思えないマイケル・グレイシーの演出力。MV出身だけあってミュージカルパートの見せ方はうまいし、構成力も高い。
というわけでミュージカルの魅力をコンパクトに凝縮したハイクオリティな傑作。
 
年のせいか最近長い映画がきつくて(最近どの映画も長い)、100分以下にコンパクトにまとめてくれる手腕にとにかく脱帽。いやほんと『デトロイト』とか観にいきたかったけど上映時間で腰がひけてしまった……。
 
 ちなみにこの監督はハリウッドで実写化する「NARUTO」の監督でもある。きっと公開されたら日本で吊るしあげられることになるでしょう。もういっそのことナルトをヒュー・ジャックマン、サスケをザック・エフロンにやってもらってミュージカルにしちゃえばいいんじゃないでしょうか。
 
とにかく「This is me」はとってもいい曲。いまもサントラ聴きながらこの記事書いてます。ミュージカルはやっぱり映画館で観るのがいい。ぜひ劇場へ。
 
 
本作の脚本に携わったビル・コンドン渾身のミュージカル『美女と野獣』もぜひ。