神さまは機械仕掛け 本人たちによる実録実演実話『15時17分、パリ行き』感想
ここ最近もっぱら実話ばかり撮っているクリント・イーストウッド。今回は2015年に起きたタリス銃乱射事件の映画化だ。タイトルにある通り、15時17分、パリ行きの列車、タリス号車内で起きたテロ事件。
なぜ当事者たちを起用したのか
「機械仕掛けの神」
劇映画ではあり得ない不自然さ
そう考えると本作には不自然なところが多い。例えば構成だ。
基本的には前作『ハドソン川の奇跡』とよく似た構成の本作。三人の幼少期、そして事件に至るまでの過程を描き、“15時17分、パリ行き”タリス号の車内をクライマックスに持ってくる構成。
不自然なのは、三人の幼少期や事件に至る過程が必ずしも銃乱射事件の布石となるようなに構成されていないってとこ。だってスペンサーとアンソニーがただ観光したり、アレクと合流してハメ外したりするシーンだけで10分以上も使う。
(C)2018 Warner Bros. Entertainment Inc., Village Roadshow Films (BVI) Limited, RatPac-Dune Entertainment LLC
もちろん、脚本の狙いとしては「ここでパリ行きを選択してなければ…」とか「もう一日アムステルダムに滞在していれば」とかいった先ほどの運命論を強調するような意図が感じられなくはないんだけど、それにしてもテーマを盛り上げるにはあまりに冗長な時間配分だ。
次に演技。
ぼくは映画を見終わってからもこの3人の名前をよく混同してしまう。誰がスペンサーで誰がアレクで誰がアンソニーか。
それほど素人である彼らの表現力は低い。例えばこの表情。とてつもないことが起きていることに気づいたリアクションショットなんだけど、彼の表情からはその緊迫感がまったく伝わらない。
プロの俳優ならこうはならないし、普通の監督なら即座に取り直しを命じるだろう。
わざわざ本物のタリス号を走らせて、3人含む多くの当事者たちを集めてまで事件の再現にこだわった本作がなぜこれほどまでに“不自然に”撮られなければならなかったのだろうか。
“フィクション”と“ノンフィクション”
本作のラストは、彼らがフランスでオランド大統領(当時)から勲章を授与されるニュース映像で幕を閉じる。
このシーン、実際のニュース映像とそのニュース映像を再現したシーンを組み合わせるとても特殊な編集になっている。
もし仮にあなたが本人が本人を演じていることを知らなかったとしても、この場面でそれを知ることになる。なぜかってニュース映像に出ているのが紛れもなく彼らだからだ。
この事実を知ったとき(事前に知ってる人にとっては再提示されたとき)、僕らの頭上でスタンバイしていた機械仕掛けの神が、一瞬にして神そのものに変わる。彼らを導いたのはご都合主義ではなく、運命としか言いようのない偶然の連なりだったのだ。
イーストウッドは本作のインタビューでこんなことを述べている。
重要なのは、3人のボーイズに持ち込むことができて、プロの役者が持ち込むことができない「彼らのリアリティ」を失わないようにすることだった。なぜなら、プロの役者は「自分自身を演じる」という考えが大嫌いだからだ。最も難しいからね。
僕には自分が使うちょっとしたトリックがある。シーンの終わりで、もし僕が「ストップ」と言えば、それで終わりなんだ。そして、それをもう一度やるか、違うショットをやるか、となったとき、僕が「カット」と言えば、本来は「ストップ」と同じ意味だけど、カメラ・オペレーターはカメラを回し続けるんだ。つまり、僕はカメラを回し続けて、人々がその後何をするか見るんだ。そこに、僕はいつも魅了される。「カット」のあとはみんな、ちょっと一息つく感じで、違うことをし始めるんだけれど、それが僕の欲しい「違うもの」なんだ。
これらの発言を読むと、イーストウッドの「実話」への関心がなんとなくわかるような気がする。*2彼は“フィクション”と“ノンフィクション”の狭間にある何かを求めている。
本作で披露した通常の劇映画ではあり得ないようなアプローチ。物語の起承転結を曖昧にし、素人に本人を演じさせて、“機械仕掛けの神”をチラつかせながら「実話」を描く。
ラストシーンはこのフィクションとノンフィクションの淡いを漂う本作にふさわしい締めくくりだったと感じる。
また一見するとハリウッド映画史の蓄積(役者の演技、物語の連続性)に逆行するような映画だが、その一方で、彼がドン・シーゲルやセルジオ・レオーネから受け継いだ天才的なストーリーテリングが存分に発揮されていることも指摘しておきたい。
全体としてはリニアな時間軸で進行するものの、しかるべきタイミングで、不吉な劇伴とともにタリス号を映し出す。
(C)2018 Warner Bros. Entertainment Inc., Village Roadshow Films (BVI) Limited, RatPac-Dune Entertainment LLC
ベッドライトを消す「カチン」という音から、タリス号車内での銃撃へと繋ぎ、飛行機というセリフからタリス号の空撮ショットへと滑らかに繋げる。あまりに長い助走に観客が「これ何の話だっけ?」となる寸前で、 目的地を親切にアナウンスしてくれる。
だからこそぼくら観客は安心して見届けることができる。87歳にして新たな映画の境地に達するイーストウッドの挑戦を。
あとがき
イーストウッド好きなんですよ。俳優としても監督としても。上でもちょこちょこ紹介しましたけど、アーティスト感とか巨匠っぽさのまったくないゆるーいスタンス。これ一番かっこいいやつです。
俳優の頃から妙に脱力したのっそりした動きが魅力的でしたけど、監督としても同じなんですよね。
タリス号車内のテロシーンとか演者に自由にやらせたみたいですよ。現場にいた人ばかりだから「みんなでやってよ」って感じで。この大雑把さ、というか大胆さがあるから2015年に起きた事件を2017年にリリースできたんでしょうね。元々早撮りの名手として有名ですけど、1970年代の東映実録ものかよってくらい速いっすね!
2010年代のイーストウッド作品だと『ジャージー・ボーイズ』が好きだったんですが、この『15時17分、パリ行き』はそれを上回る勢いで感動してしまいました。
イーストウッドの大胆な即断に敬意を表して断言しますがたぶん今年のベストです。
ぜひご覧ください。心よりおすすめします!
*1:ちなみに幼少期のスペンサーの部屋にはこの映画と『フルメタル・ジャケット』のポスターが貼ってある
*2:このインタビューでスペンサーたちのことを「ボーイズ」って呼んでるのがめっちゃいい