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ピクサーの夜/アニメーションの最先端 『リメンバー・ミー』感想 

アメリカの夜』という映画をご存じだろうか。フランスのヌーヴェルヴァーグを牽引したフランソワ・トリュフォーがアメリカ映画に愛を贈った作品だ。タイトルの「アメリカの夜」はフィルムを加工して昼に撮影したシーンを夜に見せる手法の通称。カメラの感度が低く夜に撮影できなった時代に生まれた一種の特殊効果のことだ。

 

スマホですらきれいに夜景を撮れる現在、もはや映画に「アメリカの夜」は存在しない。しかし、特殊効果によって作られた夜は存在する。『リメンバー・ミー』で描かれる「メキシコの夜」はまさにその最先端だった。

 

ピクサーがはじめて挑むミュージカル映画。舞台はメキシコ。テーマは死。

主人公のミゲルは、町の英雄的ミュージシャン、デラクルスに憧れてミュージシャンを夢みるも、家族は代々伝わる音楽嫌い。それでも夢を諦められないミゲルは、メキシコの国民的行事「死者の日」に開催される音楽コンテストへの出場を決意する。しかし、当日に家族にばれてしまい、祖母にギターを壊されてしまう。

ミゲルは泣きながら家を飛び出す。そしてコンテストに出場するため、デラクルスの祭壇に飾ってある彼のギターを盗み出したその時、彼の身に異変が起こる。「死者の日」に死人の所有物を盗んだ彼は「死者の国」の住人になってしまった。

 

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ピクサーの夜

アニメを映画と認めない化石のような人たちがまだこの世に存在するらしい。ぼくとしてはアニメが映画だろうと何だろうと面白ければ大歓迎だが、まあ確かにアニメーションと実写に違いがあることは間違いない。

実写は光の残像、つまりある種の物理現象であり、アニメーションは人が描いた絵だ。

本作で描かれるメキシコのカラフルで陽気な世界はまさにアニメーションの鮮やかさと彩りを見せつけてくれる。

 

こうした鮮やかなアニメーションの世界は、ウォルト・ディズニーが初の長編アニメーションとなる『白雪姫』を公開したときからアニメのお家芸となった。

『白雪姫』から半世紀以上が経ち、ピクサーが世界初となるフルCGアニメーショントイ・ストーリー』を世に送り出したとき、アニメは彩りに加えて陰影を手にした

 

ピクサーのロゴに登場する電気スタンド*1ピクサーアニメのライティングは彼らのシンボルともいえるほど大事な要素だ

 

アニメーションのライティングなんてただの背景処理でしょ?と思う方もいるかもしれないが決して侮るなかれ。

例えば『ウォーリー』の目(双眼鏡)に感情を与えたのはこのライティングの力。双眼鏡の三つのレンズに光を反射させることによってウォーリーに“演技”させている

 

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(C)2008 WALT DISNEY PICTURES/PIXAR ANIMATION STUDIOS. ALL RIGHTS RESERVED. 

 

ほかにも全編水中の『ファインディング・ニモ』や『ファインディング・ドリー』。光の屈折と反射が波や海流、深度を表現し、海に“表情”を作る。

 

本作でもライティング班は本領を存分に発揮している。どこがって単純に光源の数が半端ない。「死者の国」に輝く宝石のようなライトたち。祭壇に灯されるろうそく。窓から射し込む月光。死者を導くマリーゴールド

 

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(C)2018 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

 

これらの光源から放たれる光は、数学や光学に基づきプログラミングされ、直進し、反射し、屈折し、時には立体的に時には幻想的に空間を演出する。*2

 

「死者の国」を照らす色とりどりのぼやけたネオンも印象的だが、個人的にはミゲルが広場でギターを探すシーンが印象に残った。

 

街灯の光によって生まれる陰影が突如としてサンタ・セシリアの町が実写のような立体感を持つ。ミゲルが「死者の国」へと迷いこむ直前のシーンで、現実感を印象づける。それにより「死者の国」とのギャップが協調されることになる。

 

日没後からストーリーが動き出し、日の出をタイムリミットとする本作。ピクサーが描く夜は絶妙な光と影のバランスにより、現実=生者の国と幻想=死者の国を自在に行き来する

 

 メキシコ人は三度死ぬ

本作が描く死はメキシコでは一般的な死生観らしい。まずは息を引き取った時、医学的にヒトは死んだことになる。そして次は葬儀をあげた時。埋葬されるにしろ、火葬されるにしろ、物質としてのヒトは分解され二度目の死を迎える。

最後はみんなから忘れ去られた時、この世からあらゆる痕跡が消えて三度目の死を迎える。これが絶対的な死だ

 

この三度目の死、つまり記憶から消える時が物語のキーとなる設定。死んだ者はみんな「死者の国」に行く。そして年に一度の「死者の日」になると、まるで空港の入国審査のようにチェックされ、祭壇に写真が飾られているか照合される。もし、写真が飾られていなければ「生者の国」に行くことは許されない。

 

写真がないと「生者の国」に行けないだけではない。もっとまずいことになる。それは「死者の国」における「死」に近づいていることを意味する。

 

オフレンダと呼ばれる祭壇に死者の写真や思い出の品を飾ることによって、在りし日の記憶が家族に宿り、死者は「死者の国」で生き続ける、というわけだ。

 

これは死をテーマにすることによって家族愛を描く物語。「死者の国」というファンタスティックな世界を描きながら物語自体はとても現実的だ。

ただし、映画の物語としてはかなり変わっている。というのも主人公に立ちはだかる障害物がこの手の映画ではなかなか見ない代物なのだ。

 

ミゲルは死者の国にいって家族のルーツを見つけて帰ってくる。これを邪魔するのはミゲルのミュージシャンになる、という夢であり、その象徴デラクルスである。

 

デラクルスの銅像に刻まれた「チャンスを掴め」という文字。これはまさにアメリカンドリームのことだ。

 

冷静に考えるとけっこうすごいことだよね。ディズニーの子会社が夢を悪にしてしまうんだから(もちろん言い訳できるように作られてるけども)。

 

この映画は夢物語じゃない。ピクサーはピーターパンじゃない。人は夢を見続けることはできない。地に足をつけて生きろ。だから靴を作れ、と。

 

マジックリアリズム

アニメーションとしてもストーリーとしてもピクサーマジックリアリズム?的な姿勢がわかりやすく見て取れる本作。

 

正直なところ、ストーリーの展開はやや単調だし、歌劇の部分もディズニーと比べると「もう一声」という印象だが、アニメーションの細部に宿るリアリティにハッとするところが多かった。

 

ギター演奏のなめらかな指使い。ヘクターが忘れ去られて消えてしまった仲間と乾杯するグラス。最も驚いたのはココの顔。三頭身のアニメ的キャラクターなのに、皺だけやたらリアル。

 

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(C)2018 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

 

クライマックスのシーンはストーリーも相まって思わず泣きそうになった。

 

あとネタバレになるので伏せるけど、ミゲルと、ある登場人物のある部分、がめちゃめちゃ似てる。アニメであそこをここまで似せるのか、と。ストーリーとしても重要な伏線なので、これに気づいたときは「おおっ!」となった。

 

マジック・リアリズムといえば作中に登場するフリーダ・カーロもそうだし、そもそもラテンアメリカは、文学でいえばガルシア・マルケス、映画ではホドロフスキを輩出したメッカだ。ピクサーの現実とファンタジーのバランス感覚に、メキシコというマジック・リアリズム的舞台が加わりさらに拍車がかかった感じなんだろうか。

とにかく、アニメの最先端を行くピクサーの変態的リアリズムを堪能できることは間違いない

 

まとめ

映像としての面白さに興味があるならすぐに観にいくことをおすすめします。ストーリーや歌劇の部分は他にも並ぶ映画があるかなという感じですね。

スケジュールの都合上、吹替で見てしまったので歌劇については字幕で見直すと印象が変わるかもしれませんが。

某映画雑誌がアニメは映画じゃない、とか言ってるうちにピクサーはアニメーションの新たな地平を変態的に開拓しているわけで、ぜひぜひ「ピクサーの夜」を楽しんでもらいたいなと思います。いやほんと皺すげーんすよ

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:渦中の人ジョン・ラセターによるピクサー初作品『ルクサーJr』のキャラクター。

*2:ライティングの撮影監督、ダニエル・フェインバーグによるTEDトーク参照

ダニエル・フェインバーグ: ピクサー映画に命を吹き込む魔法の成分 | TED Talk