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東映vs.アウトレイジ抗争 『孤狼の血』感想

『孤独の血』を公開初日に観てきた。「『アウトレイジ』に対する東映の答えですね」。予告編に使われている古舘伊知郎の推薦コメントだが、近年稀にみる出色の宣伝文句だ。「 日本映画史を塗り替える」と銘打たれたヤクザと警察の物語に東映の本気を期待した観客も多いでしょう。もちろんぼくもその一人だ。
 
あらすじ
昭和63年。暴力団対策法成立直前の広島・呉原市。そこは、未だ暴力団組織が割拠し、新たに進出してきた広島の巨大組織・五十子会系の「加古村組」と地場の暴力団「尾谷組」との抗争の火種が燻り始めていた。そんな中、「加古村組」関連企業の金融会社社員が失踪する。失踪を殺人事件と見たマル暴のベテラン刑事・大上と新人刑事・日岡は事件解決の為に奔走するが、やくざの抗争が正義も愛も金も、すべてを呑み込んでいく……。警察組織の目論み、大上自身に向けられた黒い疑惑、様々な欲望をもむき出しにして、暴力団と警察を巻き込んだ血で血を洗う報復合戦が起ころうとしていた……。
 
はい。では「『アウトレイジ』に対する東映の答え」がどんなものだったのか。今回はきちんと原作(めちゃめちゃ面白かった)を読んでからいったのでその辺も踏まえながらレビューする。※ネタバレあり
 
 

 

東映によるヤクザ映画リバイバル

古い映画ファンにとっては常識だと思うけど、東映といえばヤクザ映画、ヤクザ映画といえば東映という時代があった。それも実録を売りにして、実際の事件、実在する組織をモデルに映画を製作していた。いまの東証一部上場企業が某巨大反社組織の賭場を借りてロケをするコンプライアンスもくそもない時代が確かにあった。
 昭和の終わりを舞台にした本作は、暴対法成立前、史上最悪の暴力団抗争と言われる山一抗争真っ最中の時代だ。
 
本作の舞台は 広島県呉原市。架空の地名だけど呉市を指していることは間違いない。『この世界の片隅に』の舞台として記憶に新しい呉といえば東映実録ヤクザ映画の金字塔、『仁義なき戦い』の舞台でもある。舞台が呉でなかったとしても強烈な広島弁とヤクザの組み合わせに『仁義なき戦い』のテーマが頭で鳴りだしてしまう。
 
それもそのはずで、『仁義な戦い』を筆頭とする東映実録ヤクザ映画に大きな影響を受けて柚月裕子が書き上げた小説を原作とする。
 
この原作が予想以上に東映実録ヤクザのオマージュが盛りだくさんでびっくりする。袖の下、脅迫、暴力なんでもありの捜査でヤクザと持ちつ持たれつの関係を結ぶ刑事、一ノ瀬の「ヤクザは顔で飯食うとるんで」というセリフ、ホステスの引き抜きを発端とする抗争、これらはすべて『県警対組織暴力』から借用されたものだ。『県警対組織暴力』は「仁義なき戦い」シリーズの深作欣二×笠原和夫のコンビで製作された超傑作。
 
この原作を東映が映画化するのだから否が応でも盛り上がる。東映がヤクザ映画で一時代を築いてから約半世紀。コンプライアンス重視に傾く社会でヤクザ映画は大衆娯楽ではなく、北野武のような作家の映画としてしか受け入れられなくなってしまったのか。そこで立ち上がる東映。「警察小説×『仁義なき戦い』」と呼ばれる傑作小説を原作に「『アウトレイジ』に対する東映の答え」を見せる。
 
いやこれもうアングルとして完璧でしょう。東映はもちろん古館さんいい仕事したな。さすが元プロレス中継アナ。東映東映によるヤクザ映画リバイバル。本編開始前にもう勝ってる。
 

バイオレンス描写と役者

では本編はどうなのか。白石監督の前作『日本で一番悪い奴ら』に続き、コンプラ上等のバイオレンス描写がすばらしい。冒頭のブタ小屋リンチシーンからもうすごい。ブタの肛門ドアップで排泄する瞬間をとらえて、糞を食わせる。ハンバーグ食べれなくなるんで、食べたいひとは観る前に食べよう。首切り死体も水死体もしっかり顔を見せるし、チンコに仕込んだ真珠を取り出す拷問シーンもある。真珠入れたい人は観る前に入れよう。
 

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(C)2018「孤狼の血」製作委員会 
 
「極道は顔でメシ食うとるんで」。ヤクザ映画は何と言っても役者の顔が大事だ。際立ってたのは男前ヤクザの江口洋介。この面構えと立ち姿は良かった。石橋蓮司御大とほとんど出番のなかった伊吹吾郎は特別枠として、ヤクザ役で頭一つ抜けてたんじゃないかな。吉田役の音尾も川谷拓三感のある下品なチンピラヤクザ良かったけど、これはまた別ジャンル。
 

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 (C)2018「孤狼の血」製作委員会
 
プルタブ式の缶ビールとか昭和アイテムがちょこちょこ出てきたのも楽しめた。いやぼくは当時生まれたての赤ん坊だったんで懐かしいとかはないけど。
 
いいところこれくらい言えばいいかな。実は本編に関してはそんな満足できなかった。理由は以下に述べるので批判読みたくない人はここで閉じてください。もちろん面白かったんだけど、アングルと原作が良かっただけにもうちょっと頑張ってほしかったなと。
 

脚本が弱い 

 
映画化にあたって頭を悩ませたのは、日岡が実話は監察のスパイだったというどんでん返しをどう映像に落とし込むかだろう。
 
原作では各章の冒頭に日岡の日誌があらすじのような形で挿入される。なぜか一部が黒塗りになっているこの日誌。その理由は日岡が内偵であったと明かされる終盤ではじめてわかる。日岡は大上をかばうために、法律に抵触する部分を削除するのだ。文字媒体ならではの伏線をどう映像化するか。
 
映画では中盤であっさりと日岡の正体を明かしてこのトリックを回避している。また小説の冒頭は謎の刑事が若い刑事にガサイレとは何たるかを教える場面からはじまる。小説の最後は謎の刑事が、数十年後の日岡であり、大上から「弧狼の血」を受け継いで一人前のマル暴刑事となったことを明かして終わる。日誌のトリックと冒頭のトリックを畳みかけるように明かす優れたラストだが、どちらも文字媒体ならではのトリックだ。
 
映画はこのどちらも採用することができず、映画オリジナルのタネ明かしによってオチをつけているが、はっきり言って弱い。この物語は若い刑事とベテランのバディものなわけなので、若い刑事の成長をどこまで描けるかにかかっている。映画の脚本はこの大上と日岡の関係性を掘り下げきれていないように感じる。なぜかといえば、映画のオチにつながるある部分を描かなければならなかったからだ。
 
インパクトに欠けるオチのために物語の一番大事な部分が犠牲になっているわけだ。鮫エキスみたいなくだらないセルフパロディ2回もいれる尺あるならさ。あとこの監督って『日本の一番悪いやつら』でもそうだったけど、スポットで有名俳優なりお笑い芸人登場させるの好きみたいだけど、映画版のストーリーなら記者の高坂いらないよね。監察が大上マークしていることは既に明らかにされてるわけだし、記者を介さずとも大上を謹慎にできるはず。中村獅童いらないでしょ。
 

コンプライアンスの問題?

コンプラ的に問題あるのかもしれないけど、ヤクザにもうちょいかっこつけさせていいと思う。というかそうじゃないと盛り上がりに欠ける。『県警対組織暴力』みたいにキャリアvs.ノンキャリの対立軸がはっきりとしてる脚本ならいいんだけど、この映画はそうじゃない。*1
仁義なき戦い』みたいにストーリーはよくわからないけど、ヤクザを演じる俳優たちの迫力と啖呵で魅せる方向に舵を切ってよかったんじゃないかな。せっかく広島弁なわけだし。
 
さっきも書いたけど「弧狼の血」ってのは大上から日岡に受け継がれる警察とヤクザを調停者のお役目なわけじゃん。それなのに一ノ瀬逮捕しちゃっていいのかな。確かに呉原の二大組織は事実上の壊滅になるし、暴対法成立後の現代的価値観すれば警察GJになるのかもしれないけど、この物語ってそういう話だったっけ?
 
警察とヤクザの間で綱渡りしてどっちからも情報を引っ張ってきてコントロールするのが大上なんだろうね。警察の手引きで五十子の命とらせておいて若頭にワッパかけちゃったら日岡に情報流すやついなくない?結局コンプラ意識でイモひいた感が残る。笠原和夫みたいな脚本を求めるのは酷だけど、東映の本気と銘打ったからにはもうちょい振り切ってほしかったな。
 

あとがき

他にも疑問点と不満がある。まずピエール瀧が大上と親友って無理あるよね。ヤクザを駒としか思ってないやつと親友になれるわけないじゃない。原作と役者、バイオレンス描写が良かっただけに脚本の精度が気になってしまった。
 
『日本で一番悪い奴ら』からそうなんだけど、この監督がたまに出してくる茶目っ気みたいなのがすごく苦手。今回でいえば鮫エキスのセリフパロディ。前回でいえば芸人のスポット出演。笑いの感覚が合わないのかな。まあ些末なことだけど。
 
全体的にみれば宣伝段階のアングルが抜群に効いてるし、色々書いたけど、今年公開された邦画のなかでは、役者の振り切った演技とバイオレンス描写はトップでしょう。「日本映画史を塗り替える」は勇み足だけど、久々に汚くて容赦ない東映映画がみれてほっこりした。ぜひ劇場へ。
 
以前書いた『仁義なき戦い』シリーズのレビュー。「顔でメシ食ってる極道」を地でいく役者の層の厚さと神がかり的なセリフ劇。物足りなかった方はぜひ『仁義なき戦い』、『県警対組織暴力』あたりを見てほしい。
 
 
 

*1:予告編で日岡がキャリア組と紹介されていたがこれは明確に間違い。公式ページの相関図によると大上が巡査部長で日岡は巡査。キャリア組なら警部補スタートなので、大上よりも階級が上になってしまう。原作ではきちんと説明されているけど、日岡は広大出にもかかわらずノンキャリ選んだ変わり者。だからこそ大上に気に入られる。この辺のキャラの掘り下げはもうちょいうまく出来たのではと思う。